当アトリエでは、DTMレッスンを行っています。DTMに関わらず、音楽教室の存在意義はどんなところにあるのでしょうか。著者は「当人では解決できない、苦手なことを克服するためのきっかけを提供し、乗り越える補助をする」ためだと思います。
得意なことや楽しいことは誰かに教えてもらうことなく、自由に自分で突き進めばよいです。何かを学ぶにしても、独学に勝るものはありません。自分であれこれ考え、試行錯誤した経過そのものが自分の実力として身につきます。もちろん、当アトリエのレッスンにおいても、音楽を楽しむための知識や技術等を教えます。ですが、それは当アトリエでレッスンを受けなくても、自身の興味の範囲で調べ物をしているうちに自然と得られるものも多いのが事実です。
一方で、得意なことや楽しいことをやっていても、行き詰まったり伸び悩んだりということは起こります。得意といいながらも、すべてがうまくいくわけでもなく、その中でも苦手なことはあるものです。スポーツで例えてみますと、野球が好き、野球が得意、そう思っていて日々楽しく練習していたとして、バッティングや送球が得意であっても、捕球やエラー時のカバーリングは苦手、というようなことは普通に起こり得ます。そして、もちろん自分が得意なことを大いに伸ばせばよいのですが、1選手としてレギュラーになるには、苦手なことも一定水準以上できるようにならなければならないでしょう。つまり、好きなことを十分楽しみ追求していくためには、苦手なこともある程度克服する必要があるということです。
これを当アトリエで行っているDTMレッスンに当てはめてみましょう。音楽制作を始めた当初は、楽しいと思うことだけやっていて問題はありません。作ること自体が楽しい、そういう状況です。ですが、これを続けていくだけでは、自分の閉じた世界で似たような曲を作り続けることになり得ますし、世の中に出回っている曲と乖離していたり、成長に行き詰まったりします。数年もすれば、成長している感覚はなくなり、伸び悩みが実感できます。この状況は、そもそもインプットが足りてなかったり、インプットをどう利用すればよいかがわからなかったり、自分ができていないポイントを自分で認識していなかったり、認識していても克服できていなかったり、といったことが原因であることが多いです。後半の、「自分の弱点を認識できていない」「認識指定も克服できない」という点は、なかなか本人1人の努力では乗り越えられないことが多いのが一般的だと言っていいと思います。
そこで、教師というよりはトレーナーのような立ち位置で、自分と二人三脚で対話することにより、客観視した意見をもらえ、弱点があれば克服する補助をしてくれるパートナーがいるととても便利なわけです。音楽教室で行っていることはまさにこれです。逆に言えば、これをやってくれない音楽教室は通う意味がありません。
ここからわかることとして、講師がころころ代わる教室はやめたほうがいい、学校の集団授業のように一方的に知識を講義するレッスンはやめたほうがいい、褒めるだけの教室はやめたほうがいい、伸び悩みのボトルネックになっていることを指摘できないレッスンはやめたほうがいい、二人三脚で克服まで誘導してくれないレッスンはやめたほうがいい、etc.というようなことが言えると思います。
レッスン自体が楽しくて、通うことが楽しい、講師と喋るのも楽しい、と思って講師と同じ時間を過ごしていても、講師はお金を得る側であり生徒はお金を払う側です。楽しい時間代としてレッスン費を考えているのであれば構わないのですが、どうせならお金を払う以上得るものがないともったいないと思います。また、楽しいだけでよいのであれば、地域の音楽サークルに参加するほうがより安く楽しめる仲間も得られるでしょう。
1つ注意点としては、何でもかんでも教えまくる教室というのも問題があります。本当に自分の血や肉になる知識や技術は自身の試行錯誤の上で獲得したものです。人から聞いただけのそれは数段得られるものが落ちます。かと言って、レッスン費を払っている以上、教えない講師というのも問題はあります。このへんのいい塩梅を含めて、自分と二人三脚で進んでくれる講師というかトレーナーが見つかれば最高です。
まとめると、親身に二人三脚で自分の成長を後押ししてくれること、それが音楽教室の存在意義だと考えます。